8.12日航機事故に想う
1985年8月12日
18時55分55秒 パワーパワー(機長)
18時56分05秒 頭上げろ(機長) 頭上げろ(機長) パワー(機長)
18時56分19秒 プルアップ プルアップ プルアップ(警告音声)
18時56分23秒 接触音
18時56分26秒 激突音
ボイスレコーダーに生々しい叫びを残し、JAL123便羽田発大阪行きボーイング747型機は群馬県多野郡上野村の御巣鷹山(標高1600メートル)の尾根に墜落した。
現場は高さ10メートルの、カラ松林にクマ笹が密生している植林地。山頂にヘリポート2ヶ所が設置されたが、捜索救難活動は難航をきわめた。
もう22年が過ぎた。あの日は、当時勤めていた新聞社の社会部で泊まり勤務中だった。突然、時事通信の速報が、僕の目に飛び込んだ。123便が群馬県上空で消息を絶ったという数行の記事だった。
それから約1ヶ月。社会部に缶詰状態になり、おびただしい事故関係の情報と格闘した。
毎年この時期になると思い出す。当時、箕面市に住んでおられた会社員、Tさんのお宅におじゃましたときのことを。
上司の葬儀で上京した帰りに事故に遭ったTさんの遺影は実直そうな人柄をうかがわせた。奥さんの真知子さんからお話を聞きながら、僕自身涙が止まらなかった。中学1年と小学3年の息子さんがいたTさんは、機内備え付けの紙袋に遺書を残していた。
「まち子、こどもよろしく」。
紙袋は血で茶色に染まり、字は震えていた。妻と子を残して逝く覚悟を決めた男が、大きく揺れ、急降下する機内で最後の気力をふりしぼって書き残したものだ。
僕にも息子が二人いる。当時はまだ6歳と4歳だった。
機内に異常が発生し墜落するまで約32分間。酸素マスクがおり、ダッチロールと呼ばれる大きな横揺れのなかで、ライフベストをつけ、「足首をつかんで頭を膝の中に入れる」姿勢をとって最後の瞬間をむかえるまで、509人の乗客と15人の乗務員が味わった恐怖は計り知れない。
奇跡的に助かった人が4人、あとの人々は全員、死亡した。
生存者の一人、日航アシスタントパーサーの落合由美さんが当時の雑誌(新潮45)に寄せた貴重な手記がある。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのはそれだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。(一部省略)お客様はもう声も出なかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。
手記は「衝撃がありました」で終わっている。
事故後しばらくして写真グラフ誌に墜落現場の写真が掲載された。黒焦げになった遺体、ちぎれた腕、血だらけの顔・・・あまりの惨状に目を覆った。僕にはとてもあの現場で取材することはできないだろう、と思った。社会部記者としては明らかに失格である。
僕が13年間在籍したその新聞社をやめたのは翌年の二月だった。
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