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2007年12月24日 (月)

官僚主導の駆け引きで後手にまわった福田首相の決断

小泉純一郎の秘書、政界のラスプーチンといわれる飯島勲は自著「小泉官邸秘録」の最後に、「官邸とは」と題して次のようなことを書いている。

総理大臣は、形式的には巨大な権限は持つが、その実際の姿はといえば、官房長官のもとで政府と与党の調整を全て行い、方向付けをした上で、総理はそれに承認を与えるという、いわば自分で動かす手足のない状態であったといってよい。これが「調整型の政策決定」というものだ。

少なくとも小泉純一郎という変人宰相が登場するまでは、飯島の指摘する通りだった。小泉はトップダウン型の政治に舵を切り、官邸の性格を変えた最初の総理大臣だった。

小泉政権誕生から、安倍政権も含めて6年余りの間、僕たち日本人はすっかり昔の総理大臣の政治手法を忘れかけていた。

それをはっきり思い出させてくれたのが福田首相だ。全員一律救済を願う薬害C型肝炎の原告たちを悲嘆の底に突き落としたあの政府和解案を示してわずか3日後、一転して、患者全員を議員立法で一律救済する意向を表明した。今になってできるのなら、なぜあのとき、決断できなかったのか。誰もがそう思っただろう。

しかし、一方で、こうなることを予測できなくはなかった。19日のことを振り返ってみたい。舛添厚労相は午後6時25分、首相官邸に入った。話し合いの相手は福田首相と町村官房長官だった。舛添が官邸を出たのは50分後の7時15分。

このとき舛添厚労相は必死になって全員一律救済の「政治決断」を進言したはずだ。「調整型の政策決定」を旨とする福田政権にあって、この段階でのキーパーソンは町村官房長官だったと思われる。町村は厚労省、法務省、財務省の次官クラスからこの問題についての考えをヒアリングし、伊吹幹事長、谷垣政調会長ら与党との調整を行って、政府案を固めていた。

全員一律救済への抵抗が最も強かったのは厚労省のトップ官僚だった。彼らは町村長官らに「2~3兆円はかかる」と言い続けた。巨額の見通しに首相も官房長官も頭を抱え込んだ。しかし、これは明らかに意図的なミスリードであった。

血液製剤を投与されたのはフィブリノゲン製剤に限れば約28万人といわれるが、その全員が対象になるのならその金額もうなずけるが、そんなわけはない。製薬会社の推定では、うちC型肝炎感染者は1万人で、原告側弁護団によると、現在の原告170人の後に続く新たな提訴者は800人くらいだろうという。

19日の時点では、大阪高裁の和解骨子案に盛り込まれたいわゆる“期間外”の原告への金額を8億円から30億円に増額することで「なんとか和解に持ち込めるのではないか」という甘い考えが町村長官らにあったのではないだろうか。

官僚のメンツに配慮した中途半端な案が、「おカネの問題じゃない。国が責任を認めることが大切だ」という原告に受け入れられるはずはなかった。世論の批判は急速に高まり、内閣支持率は激しく落ち込んだ。

つまり、こういうことだろう。失礼な言い方をすれば、「駆け引き」、もっとひどい表現をするなら「値段交渉」の手法を政府側はとった。一つの案を示して、相手の反応を見極め、相手がのめば万々歳。だめなら、次の手を考える。実に、姑息なやり方であった。賢明な原告団はそれをしっかり見抜いていた。

なぜ見抜けるのか。おカネではなく、命の問題であり、被害者共通の“魂の目”があったからだろう。

政府側にあるのは、想像力の欠如と予算の配分の論理だけだった。

福田首相は23日、全員一律救済を発表した会見でこう語った。「私どもの立場としては、司法・行政という枠があるので、その枠の中で判断するしかない。最後のがんばりで何とかなるかなと思っていた。舛添大臣もそう思っていた。よく相談しながらやったが、最後、できないということになったわけで、そうすれば新しい局面を考えなければ打開できないと考えた。したがって翌日から党との交渉を始めた」

官邸が再び「霞ヶ関」に支配され、国民から猛反発を食らったところで、「はっ」と気づいた首相が、遅ればせながら自ら手を打ったというところだろうか。それにしても、世論によってはじめてコトの本質がわかるというのでは、先が思いやられる。

                       (敬称略)

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