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2007年12月21日 (金)

薬害原告と舛添厚労相の長い夜

厚労省9階の記者クラブに、幹部職員が在庁しているかどうかが一目で分かる電光ボードがある。最近は深夜でも、右最上部の「大臣」だけ、在庁を示す黄色の灯りが点いていることが多い。

舛添は一人、山のように積まれた書類と格闘していた。「厚労省は国民の命を守るためにあるのに、そういう組織の体をなしていない」。以前は勢いよく、そういう発言もできた。しかし、しだいに現実の厳しさを実感した。「思いつきで国民受けすることを言ってもらっちゃ困るんだよ」という官僚たちの陰口がしだいに省内に充満し、幹部との溝も深まった。

舛添は大臣として国会の委員会に呼ばれ、訪問客がひっきりなしで、超多忙だ。官僚が動いてくれなければ、どうにもならない。自由な時間は深夜しかなかった。

19日、舛添は薬害C型肝炎和解のヤマ場を迎えた。福田首相に会い、和解への政治決断を促さなければならない。彼は原告の願いをしっかり受けとめているつもりだった。しかし「無謬性」にこだわる厚労省の官僚たちの視線は冷たい。法務省、財務省、そして調整型といわれる福田首相の政治手法も、厚く大きな壁であった。

あらかじめ彼なりの妥協案を用意し、午後6時25分、辞表を背広の内ポケットにしのばせて、舛添は、首相官邸に入った。町村官房長官をまじえ、福田首相と50分にわたる話し合いが続いた。

官邸の前には被害者全員の一律救済を求める原告団や支援者の姿があった。この日を政治決断の最終期限として、首相の答えを待ち受けていたのだ。首相と直談判する舛添に最後の期待がかかっていた。

これより前、弁護団の鈴木利広代表らは法務省を訪れ「平均和解金額を減らして1500万円となってもかまわない。症状に応じて全員一律に救済してほしい」と最終的な考え方を示していた。

舛添はいつまでたっても官邸の表玄関に現れなかった。法務省の司法の論理、財務省が懸念する財政支出の問題をめぐり、福田首相、町村官房長官が一律全員救済に難色を示すなか、舛添は用意していた最低限の提案内容への了解だけは取りつけた。そのあと、裏出口から誰にも気づかれず官邸を去り、午後9時過ぎ、自宅にたどりつくと、すぐベッドに横になった。「これでなんとかなる」という安堵感も多少はあった。

話し合いを終えた福田首相は記者団に語った。
「これは今まさにね、専門家が 検討している最中です。ですからその検討結果を見てね、判断をしようと、こう思ってます」

政府が懸念しているのは、今後、提訴者が何人に増えるかということだ。現在の原告団の人数は血液製剤の投与を証明することができた170人だが、弁護団によると、血液製剤を投与されたのはフィブリノゲン製剤に限っても約28万人、うちC型肝炎感染者は、製薬企業による控えめの推定でも1万人だという。

ただ、この日午後、弁護団は法務省に「新規の提訴者は最大800人」と回答していた。だとすると、今の時点の原告と合わせて約1000人。単純計算しても、150億円ほどの予算で足りるということになる。

それでも、政府は救済対象者がどれくらい増えるのかはっきり見極めがつかないと判断した。C型肝炎に限らず、今後、同様の問題が起きたときの前例をつくらない、という行政サイドの考えもあるだろう。結局、先の大阪高裁和解骨子案に沿い、舛添案を取り入れる形で政府案がまとめられた。

舛添はそれを受けて、20日午前9時過ぎから記者会見した。冒頭、立ち上がって「再び薬害を発生させたことを反省し、被害者に心からおわびしたい」と頭を深々と下げた。

政府案の内容は、東京地裁の判断した期間内に投与を受けた患者のみを対象に、病状に応じた和解金を製薬会社とともに支払い、その他の原告については訴訟遂行費用の名目で30億円を一括で支払うというものだ。大阪高裁の骨子案と異なるのは、期間外の原告に対する金額を舛添の要請によって8億円から30億円に増額したことだ。

「きょうの案が政治決断の案でございます。これで事実上の全員救済になります」

舛添はこう語ったあと、9時30分からの記者会見に備えて隣の部屋で待機している原告団との接触を避けるように、記者会見場を後にした。

舛添が部屋に顔を出し、何らかの説明をしてくれると信じて待っていた原告たちは肩すかしを食って茫然としていた。

生後間もない27年前、薬剤を投与された原告の福田衣里子さんは「舛添大臣も、メンツを守ろうとするだけの官僚と一体になったとしか思えない」と唇をかんだ。

このすぐあと、舛添の会見を受けてはじまった原告側の記者会見。弁護団は「全員一律救済にならない」と即座に政府案を拒否、大阪高裁の和解協議にも応じない方針を明らかにした。舛添の考えは甘かった。

山口美智子原告団代表はあふれ出る涙をこらえ「私たち薬害被害者は線引きされ、切り捨てられました。」と、しっかりとした口調で語った。

かつて教師だった彼女は、症状の悪化で退職を決意し、インターフェロン治療による脱毛をカバーしていたカツラをとって、教え子に自らの病気のことを告白した。出産時のフィブリノゲン投与が肝炎の原因だったことは知るよしもなかった。

和解の道はこれでいったん途絶えた。「国は責任を認めず、おカネの問題にすりかえようとしている」。原告の国に対する不信感はつのるばかりだ。

原告団は「当面の活動を終結する」という。しかし病気との闘いは続く。「いつかは政治の決断が出ると信じたい」と山口代表は語る。彼女らに長く続く裁判は酷である。

長い夜が明け、寒々とした空気が残った。事情は多少違うかもしれないが、2001年5月24日、当時の小泉首相が政治決断によりハンセン病訴訟控訴断念を表明した時の「総理大臣談話」は深い印象を残した。

「患者・元患者の皆さんが強いられてきた幾多の苦痛と苦難に思いを致し、極めて異例の判断ではありますが、敢えて控訴を行わない旨の決定をいたしました。(中略)政府として深く反省し、素直にお詫びを申し上げるとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼の念を捧げるものです」
 
国が明確に過ちと責任を認めた瞬間だ。小泉政権が誕生してわずか1ヵ月後のことだった。
                           (一部敬称略)

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