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2008年1月15日 (火)

欲深き権力者たちに「侘び茶」を一服

武者小路千家の新年は、元日の早朝6時、大福茶から始まる。まだ真っ暗な茶室に、ろうそくの灯りがともされ、盛装した家人たちの顔がほのかに照らされて、幽玄の趣がただよう。

茶釜から立ち上る湯気は、前夜更けてから、宗匠が絶やさぬように守り続けた炭火の命の息吹である。

茶室という小さな宇宙で、決められた所作に従い、人と人とが静かに同じ空気に溶け合う。お茶を飲む、という最も基本的な人間の営みが、それだけで、非日常的なものに変わるのである。

もうこれっきり会うことはないかもしれない。人と人はつねにそういう関係である。「今、此処しか、ない」。そう思えば、人はみな、いとおしい。互いに、いっとき、お茶をともにする。ただこの一点で、気が通じ合えば、それでいい。誰にも、明日のことは分からない。

茶の湯にこめられた日本人の精神。その根底にあるものは「無常感」であろう。「永遠の繁栄」をめざした平家一門は壇ノ浦の海中に沈んだ。「諸行無常」「盛者必衰」。平家物語の言葉を、国も、企業もよくかみしめなくてはならない。

「無常」が教えるものは、「欲をかかず、ほどほどに生きる幸せ」である。自然によって生かされていることへの感謝を忘れ、自分たちの「便利」や「利益」のために地球をむやみに掘りまくり、放射性物質で汚し、森林を切り倒す人間の果てしない欲望が、もはや「これ以上許されない」限界点に達している。

にもかかわらず、どの国の為政者たちも「科学技術で環境と経済の問題を解決できる」という幻想を、専門家といわれる人々を使って大衆にばらまいている。まだまだ彼らと、それを支える巨大資本の「欲望」はとどまるところを知らない。

おそらく、彼らの言うことは「真っ赤なウソ」、あるいは「希望的観測」である。20年後、いや10年後、世界がどうなっているかを想像してみるといい。麦、大豆、トウモロコシなど穀物は十分に供給され、日本に入ってくるだろうか。CO2削減が進み、地球環境は改善しているだろうか。太陽、地熱、風力などが石油などに代わるエネルギーとして確立されているだろうか。

おそらく、石油やウランやレアメタルや食料をめぐるナショナリズムがエスカレートし、争いごとは絶えないだろう。下手をすると、食糧危機や資源不足が現実のものとなり、富の格差はさらに広がり、人間の想像力や倫理観の低下も進んで、テロや戦争の横行する悲惨な時代を招きかねない。人間の叡智も、科学技術の進歩も、飽くなき目先の「欲望」の増殖スピードに追いつけないことくらい、おおよその察しがつく。

石油で巨万の富を得た中東の有力者が、そのカネでスポーツを支配し、ルールを無視して当然とする。その「傲慢さ」を許してしまったのも、もとはといえば石油利権をめぐる先進諸国の経済的欲望によるものである。

深い精神性を感じさせる、世界の真のリーダーが見当たらないのは、今も昔も東も西も変わらない。権力の亡者しか権力を握れないのが悲しいかな現実である。

歴史上の英雄、豊臣秀吉もまた、しかり。千利休は「侘び」の美しさを解さぬその権力者に「死」を命ぜられた。利休は何も削るものがないところまで無駄を省き、お茶を飲むという単純な行為に「美的緊張」を創り出した。それが「わび茶」というものである。日常のどんなことにでも、人は「美」や「楽しさ」を感じ、ちょっとした工夫で、それを「文化」にまで高めることができる。「想像力」あるいは「創造力」というすばらしい人間の力である。

「侘び」に価値を見出す感性が日本人には備わっている。「もったいない」も世界の言葉になった。日本人は「飽食」や「贅沢」の文化を世界にばらまくのではなく、「質素倹約の価値感」を広めていかねばならない。

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コメント

昔、小林秀雄の「無常ということ」を読んで、ああ無常というのは深い森の緑の中で緑色に染まることなんだなあ、今昔や自他の識別がつかない胡蝶・邯鄲の夢の世界なんだなあと思ったことがあります。

長じて、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」のラストシーンで宇宙船から脱出した宇宙飛行士が吸い込まれる光の世界を見たり、アランの師、ラニョーのつぶやき「人間(精神)は夢を見ていた。世界はその夢であった」を読んだりするにつけて、その思いはいっそう強くなりました。

「欲深い権力者たちに侘び茶を一服」は実に今年、2008年日本の年頭にふさわしい賢者の言葉です。実際、昨年2007年にはこの国はどうなったんだろうと思ったものです。特に安倍ちゃんには心底驚きました。その後、腸の病気が治りましたとかで選挙区に行ったり文春に遁辞を書いたりしているようですが、大腸はともかく病んでいる精神は治っていないようです。

久しぶりにクレージーパパのすっきりした論旨と凛とした美学に接してこのクレージーな世の中で無常に徹するには自らクレージーになるほかないのだというハンドルネームの由来を改めて認識しました。

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