朝日「素粒子」、含蓄のないコラムは読むにたえない
ことし1月4日から、朝日新聞夕刊の「素粒子」を担当している論説委員、加藤明が大変なバッシングを受けている。宮崎勤らの死刑執行翌日、6月18日のこの記事に関してだ。
永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2ヵ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。
前段の文章を「永世名人 羽生新名人」で始め、「またの名、将棋の神様」で結んだ。名人と神様は、あえて「またの名」というほどのものではない。もともと同義語のように日常的に使っている。
その言語感覚はともかく、続く文章の語呂合わせが無神経だった。「永世死刑執行人 鳩山法相」「またの名、死に神」。
こじつけというほかない表現は、夕刊締め切り前に苦吟する加藤を想像し、思わず笑いを誘うが、「死に神」といわれたほうは、笑い事ではない。
やはり、こういう短いコラムは「粋」でなくちゃならない。「含蓄」に富んでいなくちゃならない。
鳩山の怒りに共鳴して、朝日新聞に非難の声が殺到した。加藤は「素粒子」でこう弁解した。
鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。「法相は職務を全うしているだけ。」「死に神とはふざけすぎ」との内容でした。 法相の御苦労や、被害者遺族の思いは十分認識しています。 それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図は まったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。
チクリと刺すのが、このコラムのねらいというが、ダイレクトに刺している。いかにも、自信と責任を持って死刑執行のゴーサインを出している鳩山はケシカランと言いたげだ。挑戦的ですらある。
加藤は社会部出身である。社会部次長、週刊朝日編集長などをつとめたというから、相当な書き手のはずだ。どうして、あんなに硬直した文章しか書けないのだろうか。
日韓が共催した2002 年のワールドカップ。韓国の快進撃が目を引いた。加藤は週刊朝日の記事で、こう書いた。
韓国の熱狂と大活躍をたたえる報道が日を追うごとに増えたせいか、インターネットでは、もっと下品な表現で偏見に満ちた「韓国を妬む」言葉が飛び交っていたようです。(中略)政治・経済の閉塞的状況下、日本人の「苛立ち」が、こんないびつな形で噴出しているとしたら、あまりに貧相な感じがします。
もちろん、ネット上で、さまざまな声が飛び交うのは当然なことだろう。しかし、日本人の間に、韓国への妬みとか、偏狭なナショナリズムが広がっていたとはとても思えない。上記の文章は、一部の熱狂的なサポーターのメンタリティを日本人全体の問題としてとらえた、きわめてステレオタイプな内容だ。
新聞記者はよほど気をつけないと画一性の罠にはまる。型の決まった事件原稿の書き方を学ぶことから記者修行が始まるからである。締め切り時間に追われ、深く考えるよりも、早く書くことが求められる。
その繰り返しを長年していると、ほとんど思考停止状態になる。脳のなかで、いつも同じネットワークしか働かない。「表現の方法や技量を磨かねば」という加藤論説委員の決意はけっこうなことだが、その前に、しばらく筆を休めて、心を磨き、硬くなった頭のリハビリをすることも大切だろう。
(敬称略)


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