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2008年7月13日 (日)

石原都知事の傲岸不遜に隠された孤独の影

スペインの「サラゴサ国際博」に皇太子殿下と同行する森喜朗元首相は、石原慎太郎都知事から頼まれていることがあった。

石原が異常なまでに執念を燃やす東京へのオリンピック招致。その運命が決定する来年10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会に、日本の皇室から皇太子が出席すれば、シカゴなど他の候補都市に差をつけられる。

そう考えた石原は今月はじめ、首相官邸に出向き、福田首相や森元首相に、「皇太子の意向を打診して欲しい」と要請した。このニュースに、皇室の政治利用だと批判する声が上がった。

前代未聞の話に困惑したのはもちろん宮内庁である。野村一成・東宮太夫は森に「オリンピック招致の件は殿下に話さないでいただきたい」と懇願した。

それを、定例記者会見でTBSの記者から聞いた石原は烈火のごとく怒った。

「宮内庁ごときが出てきてだな、こんなこと言うのは僭越の限りだ」

「僭越」という言葉は、そっくり石原に跳ね返るのではないか。この人の心の構造については思うところがあるので、後述する。

いずれにせよ、石原がすごいのは、東京に再びオリンピックを呼び込むためなら、国民は皇太子を担ぎ出すことに賛成のはずだと、勝手に決め込んでいることだ。

都民、あるいは国民がそんなにオリンピックを渇望しているだろうか。

オリンピックにかけるカネは、施設建設や大会運営費だけではない。五輪開催をを名目に総額7兆円もの公共工事をもくろんでいるといわれる。

東京五輪基本構想懇談会は「この国を立ち直らせ、世界に存在感を示す」と答申している。

まだ飽き足らずに日本の富を、東京に集中させるつもりなのだ。それで「この国」が本当に立ち直るだろうか。疲弊した地方が再生できるだろうか。医療や福祉が蘇るだろうか。

東京は全国の優良企業が集結しているがゆえに今の繁栄がある。石原が知事をつとめているおかげではない。おそらく、東京はあまり行政が要らぬことをしないほうが、民間の力で発展し続けるだろう。

ところが、なぜか石原は要らぬことをして、都民を困らせるのだ。思いつきで銀行をつくったものの、シロウトの乱脈経営で倒産状態に陥ると、「経営陣が悪い」と責任転嫁して、税金を無駄に投入し続ける。

かつては北京五輪ボイコット論をぶっていたのに、昨年4月、東京都知事に三選されてからは、北京にすり寄る姿勢に転じた。北京五輪組織委員会が石原を開会式に招待したのもなにやら胡散臭さを感じる。

中国側は「石原氏の狭いナショナリズムの考え方を変えさせ、中日両国の友好関係の強化と発展に役立つものである」と招待の理由を述べ、石原は「東京五輪のために、北京の開会式を参考にしたい」ともっともらしい言い訳をしている。

ときどき、思うことがある。石原慎太郎とは何者か。1956年の芥川賞を受賞した「太陽の季節」は、第1作目が当たったという稀にみる幸運なケースだった。このあと、彼の小説が進化したと言う人がいるだろうか。

1968年の政界への転身は、小説家としての限界を悟ったからではないかと筆者は想像している。流行作家であり続けることは至難のワザである。

彼が傲岸不遜な態度をとり続けるのは、有り余る才能と自尊心に満ちた心の底に、激しい“コンプレックス”が存在するからではないか。

若くして時代の寵児になったゆえに、人知れず抱き続ける苦悩がある。

輝かしい位置から滑り落ちる恐怖。他人はみな自分の地位を脅かす競争相手に見える。才能の輝きや、人格の厚みを感じる人物との出会いは、喜びの半面、激しいコンプレックスと嫉妬の地獄に自分を突き落とすものともなる。

衆院議員を辞めた真の理由も、案外そのあたりにあるかもしれない。人望がないことに気づいたのかどうか、少なくとも権力の頂上には決して登れないことを自覚したのだろう。

自民党総裁選に出て敗れ、いまひとつ実績は残せないままに国会を去り、人生の最終章が近くなって得たトップの座が都知事だったのだ。彼にとっては東京オリンピックこそ知事としての金字塔なのだろう。

「宮内庁ごときが僭越だ」と言うその無礼千万な言葉の背後には、尋常ならざる「孤独の影」が感じられる。

                       (敬称略)

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コメント

 とある方から教えていただいたブログですが、時折読ませていただいています。
 石原都知事については、まったく同感です。かつて、石原派を率いてた時期があったように思いますが、あっというまに瓦解してしまいました。所詮、人望がない。おそらく、本人はこんなに才能があるのに、なぜ俺を支持してくれないのか、と思っていたことでしょう。
 その傲慢不遜ぶりが個人としては人気があるのですが、周囲にはイエスマンもしくは同様の人気稼業しか残らないことになります。それでも、前長野県知事よりは多少利口のようですが・・・。
 私も、オリンピックは別に必要ないと思っています。開催するなら、東京よりも福岡のほうがまだマシでした。所詮、中央集権思考の強い選考委員達がまだ取り仕切っているのでしょう。石原都知事同様に。

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