« 日歯連の政治活動の犠牲になった村岡兼造 | トップページ | 経済急ブレーキの中国と、不安だらけの五輪 »

2008年7月17日 (木)

日本が支援したロシア革命、最後の皇帝いまだ名誉回復ならず

そろそろニュースが夏枯れなので、今日は何を書こうかと迷ったところに、産経新聞モスクワ発の記事が目に留まった。

帝政ロシア(ロマノフ朝)最後の皇帝、ニコライ2世がロシア革命後に銃殺されて90年目にあたるが、その「名誉回復」は、ソ連解体17年後の今もなされていないという内容だ。「レーニン崇拝」の歴史観が、それを阻んでいるという。

この記事にこだわらず、ソ連の建国者レーニンと、ロシア革命と、日本との関係史を振り返るとき、それぞれに絡み合った不思議な因縁の糸を感じずにはいられない。

1904年2月、日露戦争の開戦直後、一人の日本人が、亡命中だったレーニンのジュネーブの自宅をたずねた。明石元二郎という。階級は大佐だった。

彼は山縣有朋の密命を帯びていた。当時のロシア情勢やレーニンらの活動からみて、早晩、ロシアに革命が起きることを予測し、資金援助を申し出たのだ。もちろん、ロシア国内が混乱することが、日本の国益になると判断したからである。

明石はレーニンを説き伏せ、ロシアに送り込んだ。同時に、反政府勢力をたきつけて、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキン号の反乱などを起こし、日露戦争を有利に運んだ。

日本はこれ以前の1902年、東アジアにおけるロシアの南下を恐れるイギリスと日英同盟を結び、開戦への態勢を整えていた。今と違い、当時の日本の情報や外交の戦略がしたたかだったことがうかがえる。

レーニンの革命を支援し、ソ連誕生に一役買った日本が、日露戦争勝利から40年後、中立条約を破ったソ連によって、南樺太・千島列島、満州国への侵攻を受けたことは、歴史の皮肉である。

実質的に「プーチン王朝」といえる現在のロシアと日本も、摩訶不思議な関係だ。

北方領土を返さず、英蘭シェルとの共同開発石油・ガス田「サハリン2」の経営権を横取りしたロシアを、日本人の大半が嫌っている。ところが、60%をこえるロシア人は「いい商品つくる日本が大好き」だという。

資源の値上がりで急に金持ちになり、空前の消費ブームに沸いているロシア国内で、実質的な支配者、プーチンの人気は衰えを知らない。

その一方でプーチンには言論弾圧や強権的な政治姿勢が目立ち、「ソ連時代を評価する歴史観」によって、時計の針を逆戻りさせている面もある。ソ連の秘密警察的な体質がいまだ色濃く残っているのだ。

ロシア専門家の滝沢一郎は「ロシアの選挙は中央選挙管理委員会のなかで票の書き換えがおこなわれている。はじめから当選者が決まっているから国民は選挙に関心を失っているんです」と指摘する。

カタチだけの選挙でも、フトコロが温かいと文句が出ないらしい。

話はもとに戻るが、ニコライ2世はロシア正教から「聖人」に認定されているという。にもかかわらず、ニコライ2世の末裔が求める名誉回復の訴えを裁判所は却下した。

「レーニン崇拝」を掲げるゆえに、「聖人」さえ、名誉回復させられない。その事実が今のロシアの抱える複雑さを垣間見せている。

                     (敬称略)

Blogbanner2人気ブログランキングへ

« 日歯連の政治活動の犠牲になった村岡兼造 | トップページ | 経済急ブレーキの中国と、不安だらけの五輪 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

世界で一番嫌いな国は?と聞かれれば即座にロシアと答えるでしょう。第二次大戦末期のロシアの裏切りによる満州侵攻とシベリア抑留・北方四島への領有権侵害は日本人としては生理的にも絶対許せない傷跡です。巷では冷戦終結とか言っていますが信用なんかしてません。KGB出身のプーチンの考える事はソ連時代の復活と冷戦の仕切りなおしでしょう。賓が無くてすみません。

レーニンがレーニン廟から出て埋葬され、ニコライ2世一家殺害の政治責任に決着がつかない限りロシアの真の世代交代はないでしょう。ソ連崩壊後に出生した世代がロシアの政権を担う時代になるまでは無理かもしれません。さらにレーニンの政治責任とは別にエカテリンブルグ事件の真相は英国王室、デンマーク王室、ドイツ(ウィルヘルム2世やWWIのドイツ軍)やロシア(旧ソ連KGB、旧共産党)等の全ての公文書が公開されない限り、サマーズとマンゴールドが言うとおり皇帝ニコライ2世のファイルが閉じられることはないでしょう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/335692/22367420

この記事へのトラックバック一覧です: 日本が支援したロシア革命、最後の皇帝いまだ名誉回復ならず:

« 日歯連の政治活動の犠牲になった村岡兼造 | トップページ | 経済急ブレーキの中国と、不安だらけの五輪 »

フォト

1日1回応援クリックお願いします↓

過去の全ての記事

2016年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

microad

無料ブログはココログ