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2008年8月15日 (金)

終戦日特集 マッカーサーの対日観を変えたもの

戦後約6年間、日本の最高権力者だったマッカーサーはGHQ最高司令官を解任されたあとの1951年5月3日、米国上院軍事外交共同委員会で、次のように証言した。

「彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

もちろん、マッカーサーが1945年8月30日、専用機で厚木海軍飛行場に降り立ったとき、そのように思っていたはずはない。戦前の日本を全否定し、東京裁判を進めた人物である。1951年4月11日までGHQ総司令官として日本占領政策を進めるうちに、対日観が変わったと考えるのが自然だ。

戦時中の1944年6月、日本研究を委嘱された米国の文化人類学者、ルース・ベネディクトは著書「菊と刀」の冒頭で、「日本人はアメリカがこれまで国を挙げて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった」と書いている。

米国は日本占領統治を見越し、日本理解を重要課題として、ベネディクトに研究を委嘱したのである。

日本人は「最高度に喧嘩好きであるとともにおとなしく」「軍国主義的であるとともに耽美的で」「不遜であるとともに礼儀正しく」「頑固であるとともに順応性に富み」「勇敢であるとともに臆病であり」「保守的であるとともに新しいものを喜んで迎え入れる」(菊と刀より。一部省略)

世界からみれば果てしなく矛盾に満ちた民族に対峙することになるマッカーサーはコーンパイプをくわえ、威風堂々として見えたが、その内心はどうだっただろう。ペコペコして微笑をたたえる日本人への猜疑と警戒心が、勝利者の胸に膨らんでいたのではないか。

マッカーサーは来日早々、朝日新聞の記事に激怒した。一つは占領軍の兵士による数々の暴行や強盗事件を取り上た記事。いまひとつは、鳩山一郎の下記の談話を掲載したことだ。

「正義は力なりを標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」

朝日は9月18日から、48時間の新聞発行停止を命令された。ここから、朝日の論調は大きく転換する。

「正当に主張すべきは、堂々と主張しよう。単なる卑屈は民族の力を去勢する」(9月10日)というこれまでの考えをガラリと変えたのだ。

「軍閥の強権を利用して行政を壟断したる者、軍閥を援助し、これと協力して私利を追求したる者などの罪科も、ともに国民の名において糾弾しなければならぬ」(9月22日)。これが、今に続く朝日論調の源流だ。

こうした言論統制は、ポツダム宣言第10条の「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」に違反している、という批判がある。

このころのマッカーサーと、トルーマンに解任され「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の名セリフを残したころのマッカーサーは全く異なる人物のようだ。日本に対する見方がガラリと変わっていた。

前述の米国上院軍事外交共同委員会におけるマッカーサー発言を訳した牛田久美はこう書いている。

「共産主義への懸念は、朝鮮戦争で現実のものとなった。マ元帥は、朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられた凶器となりかねない位置にあるため、朝鮮防衛を考えた。朝鮮の地に自ら降り立ち、大陸からの中ソの脅威に直接立ち向かってはじめて、極東における日本の地政学的位置を痛感し、戦前の日本がおかれた立場を理解したのである」(一部省略)

マッカーサーの証言を続ける。「中共に対し海と空とから封鎖してしまふ貴官の提案は、日本に対したのと同じ戦略なのではありませんか」という質問に対する答弁だ。

「その通りです。太平洋において我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐる(中略)日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。(中略)彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました」

「しかし彼らは原料を得ることができませんでした。綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。それら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです」

「これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであらうことを日本政府・軍部は恐れていました。彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

昭和20年の8月15日は玉音放送が流れた日だ。正式な終戦をいつとするかは諸説ある。ただ今日は、戦後日本の方向を決めたマッカーサーの証言を通して、われわれ戦後世代の日本人が学校で教わらなかった歴史上の事実だけ、しっかり確認しておきたい。

                     (敬称略)

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コメント

マッカーサーの証言は妥当ですね。
これを全然報道しない報道機関は毎日新聞の変態記事も当然報道しない。
自分の頭で考えることが凄く重要だと改めて思います。

いつもながら、勉強になります
日本封じ込め、窮鼠ネコをかむで
やむをえず、戦いに向かった先人の辛苦を
思います

日本のマスコミは本当に信頼が置けませんね、毎日のweb版変態報道の一件はそれを決定づけましたね

管理者

 初めて投稿いたします。大変興味深い文章でしたが、2、3の点で誤解されている箇所があるように思われます。

 マッカーサー将軍は日露戦争に観戦武官として従軍しており、東洋に40年生活していました。1930年代に彼がマニラに居をおいたマニラホテル5階の居
室には「入り口に日本製ののれんがかかっており、部屋のマントルピースの上にマッカーサーの父アーサー将軍と児玉源太郎大将が一緒に写っている写真が額に収まっていました。

 書棚には「ジャパン」という文字の入った書物が数え切れないほどあったそうです(大井篤の体験談)。
 マッカーサー将軍は戦前からの知日派で、日本の思想を研究し、これを出し抜いてわずかな損害で東京への道を踏破しました。

 さらに言うと、1941年にはソ連による日本への宣戦布告を働き掛けるよう要望しています。

 つまり彼は対日戦に関しては自信満々の戦略家であって、ソ連の真意が見抜けていなかっただけなのです。ゆえに東洋のスイス案転じて大平洋の防波堤と18
0度転換しただけのことであって、日本の事情なぞ知ったこっちゃなかったんじゃないのではと思われますがいかがでしょうか。

乱筆乱文失礼いたしました。管理者様のご健勝とご多幸をお祈りいたしております。

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